「ほんもの」と「まがいもの」-其ノ参(3)-

私の父である哲学者:加藤尚武のエッセイ「ほんもの」と「まがいもの」
今回は最終回です。
「ほんもの」と「まがいもの」-其ノ参- 
「代用品」というまがい物を食べることに潔癖な拒否感を持つ人には、耐えられない毎日だったろう。 あるとき、父の友人のSさんが重箱を届けてくれた。もともと柔道家で、大きな体、大きな声の人だが、 口数は必要を超えることがなかった。 「これ皆さんで食べてください」というと、つむじ風のように立ち去って行った。 重箱の中身はぎっしりと並んだおはぎだった。砂糖の代わりの化学甘味料、小豆の代わりのいも類、 コメの代わりの雑穀類を一切含まない、まったく妥協をゆるさない本物の「おはぎ」だった。 谷崎潤一郎が永井荷風に、まったく非妥協的な本物のすき焼きを食べさせた話は、 テレビの番組にもなったが、我が家にとって、そのような非妥協性への挑戦の物語は、 Sさんの届けてくれたおはぎだった。 そのおはぎは考えられるかぎりのたくさんの人の口を楽しませたが、そのおはぎをふるまっている間、 私たちの家族は無上のしあわせを感じていた。 私は何度も「Sさんが、また来てくれればいい」と思って楽しみにしていたが、Sさんとは二度と会うことがなかった。 それは、敗戦を過ぎて後のことだったが、Sさんがずっと以前に餓死していたということが判明したからだ。 信じられないほど体が小さくなって亡くなったという。 「こんなものが食えるか」といって雑炊の茶碗を奥様に投げつけたという話は、我が家で何度も話題になったが、 代用品が快く喉を通ってくれない自分の業(ごう)をみじめな思いで見つめるという段階だってSさんの心にあったに違いない。 何かある一つの事柄に対して魂の純度を保つことなしによい人生を生きることはできないという教訓が、 そのために死ぬこともあるという付帯条件付きで、私の心に住み着いた。 --了--

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