「ほんもの」と「まがいもの」-其ノ壱(1)-

これから三回にわたって、私の父である哲学者:加藤尚武のエッセイを紹介します。
「ほんもの」と「まがいもの」-其ノ壱-
私は四人兄弟の末っ子であるが、
一人っ子のようにして過ごした数か月間がある。
兄は兵隊となり、姉二人は集団疎開で山形県の湯浜(ゆのはま)温泉に
行ったのだが、私は小学校一年生で、集団疎開の対象外だった。
母は、子どもが急に一人になってしまったさみしさを感じていたようだった。
私は、母を独占するという意外な機会を楽しんでいた。
「これ全部食べていいわよ」と母が私に渡したものは、
かなり大きく切った羊羹のようなものであった。
姉たちがいないので一人で食べられる。
私は、廊下の窓ガラスにもたれるようにして食べていた。
それは干し柿を固めて羊羹状にしたもので、たしかに美味しかったが、
さっぱりしすぎていてすこし物足りない。
母が、私の背中から声を掛けて「おいしい?」と訊くので、
振り返って「とても美味しい」と答えたら、
母は当惑した表情で「でもこれは本当の羊羹ではないのよ」といって
羊羹の説明をあれこれとしてくれた。
私は即座に「本当の羊羹」を思い浮かべることはできなかった。
母は、羊羹でないものを「羊羹だ」と
だまして子どもに食べさせたという事態は、
絶対に避けなければならないと信じてたのに違いない。
「これは本当の羊羹ではない」ことを私にくわしく説得しようとしたのだった。
食べ終わって母を見ると目に涙をいっぱい浮かべていた。
その涙が私には長年の謎だった。
本当の羊羹を食べさせることのできない切なさを母が感じていたことは確かだ。
私の家では麦飯や代用食を食べることにしていたが、
代用食を本物だと言って食べることはなかった。
本物とまがい物の区別をしっかり意識することは、
母にとって生きる拠り所のようなものだった。
自分を他人に実際よりもよく見せる努力を、母はいつも軽蔑の視線で見ていた。
一生涯、化粧品を持たないままで死んでいった。
美しくないのに美しさを気取る人、
立派な文章が書けないのに借りものの言葉で肩をいからせた文章を書く人、
悪筆をごまかそうとして筆先を跳ね上げたりする人は、
すべて母の軽蔑の対象だった。
ラジオでの村岡花子の語り口は、丁寧過ぎる、
いわゆる「幼稚園言葉」のハシリで、上品を取り繕っているまがい物だった。
羊羹でないものを、子どもが「羊羹だと」思って食べ終わる前に、
本物との違いを説き伏せなくてはならないと急ぐ気持ちが、
母にはあったのだろう。
しかし、あのとき母が涙を浮べたのは、
「この子は、本物の羊羹の味を知らないままに、
本土決戦の戦場で死んでしまう」
という思いがあったからなのではないだろうか。
--続--

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